最近 また写真熱が下がっていることは否めない

スマホにて
4月6日、4度目の抗議集会(デモ)参加。
写真は今回もらった新しいデモグッズ。
体調も悪いし、天候も荒れ気味だし、どうしようかな…と思ったが、例によって“絶対的YES”に従い、相方を誘って行ってきた。
家を出る数時間前につながっている存在に「天候…、雨、風が止み、穏やかな環境でデモに参加しているワタシを選択する」と伝えたら、家を出てデモに参加し、帰ってくるまでの間だけ本当に穏やかな天候だった(これを書いている今、外は猛烈な雨風に戻ったが)。
自分の現実の主導権は自分にある。
もっともっと丁寧に選択してゆく練習のようだ。
さて、デモ。
NOを宣言する対象は他ならぬ自分自身の内側にある。
行動で意思表示する。
だから何度も参加する事に意味があると思う。
自分の中の“それ”が「もう分かったよ、降参」と言うまで。
ここにきて“それ”の正体が見え始めている。
すでに、現政権が倒れるとかどうとかは表面的なものでしかない。
“それ”とは思想であり、歴史であり、どうやら宗教らしい。
古い宗教的思想が実はほとんどの人の中で根深くその人を支配している事は疑いようがないと思う。
「別に何とかと言う神様なんて信じてないし、スピリチュアルなんて信じないし」なんてレベルではなく、社会全体が無意識下で宗教的思想の上に成り立っている(だから古くから宗教は支配の道具に使われる)。
政治的な話、宗教と言う単語、等に生理的な嫌悪感を感じる人がいるかも知れない。
でも、自分の幸せを本気で考え始めたら、その延長にある社会情勢はどうしても切り離せない。
分断、支配の社会では真の幸せになれるとは思えないから…。
デモ関係のところで何度も書いている通り、手放す対象が見えていなければ手放す事は出来ない。
ここを手放せるかどうかが本当の分岐点のような気がする。
ようやくその対象が見えつつある。
出てくる 出てくる

GX100
世の中の動きを象徴として見るなら「出てくる 出てくる」。
これが個人の日常の中に起きている事とリンクしているなら、もう腹を決めるしかない。
問われるのは問題に対する姿勢だと思う。
自分の振動数を決定するのは問題が出てきたときの姿勢だ。
もうごまかしたり、ウソをつく余裕はない。
ワタシは「NO!」と言う

GX100
本日、3度めの首相官邸前デモ参加(写真はデモ会場で配っているライト)。
今回は独りで参加した。
情報が入れば入った分、この社会がどれほど時代錯誤の思想で侵食されているかを知る。
そしてそのやり方は実に巧妙で(内容は幼稚だが)、多くの人間は自分がこの世界でどれほど苦しめられてるかが分からないようにカムフラージュされている。
でも、知らなかったでは済まされない。
それを知るための手段はたくさんあるのだから。
以前にも書いたが、手放すべきものを知らなければ手放すことは出来ない。
そしてそれを知ったら「NO!」と言わなければ同意しているも同然だ。
ワタシは行動する。
それが「NO!」の意思表示だから。
そして自分の中にシフトをおこす。
行き倒れ…、ではなく お昼寝

HOLGA HL(W)-SN 25mm/f8
ワタシはかなりの面倒くさがり屋だ。
朝起きてからエンジンがかかるまで、かなりの時間を要する。
場合によってはそのまま昼寝に入って、エンジンがかからないまま日が暮れることもしばしば…。
時にはやらなければならない事もある。
動くまでにハードルがいくつもあるような気分になる。
億劫だ〜。
この件に関してはず〜っと原因を考えていた。
似たような傾向を持った人や自分の行動パターンをよく観察してみて分かった事がある。
“夜型人間”であること。
この仮説を前提に自分のカラダの状態や気持ちを観察していると、昼間(特に午後)はエネルギー不活性状態であるように思われる。
この「GALLERY」も夜中に写真を作って、掲載している(今も)。
夜中の方がノリが良く、動く気力が充実している。
閃きもたくさんやってくる。
気持ちもとっても前向きだったりする。
バシャールに言わせれば、これが本来のリズムらしい。
原因が分かったら、昼間ダラダラ過ごす自分を許して良いと思った

花の荒野

GX100
引退してオブジェとなっていたGX100を久しぶりに持ち出してみた。
やや動作に不安定な部分はあるが、まだ使える。
これを機に現役復帰なるか。
* * *
ワタクシゴトだが、マンション管理組合理事長の仕事が一段落ついた。
4月の定例総会が終わったら無事お役御免だ。
約15年前も理事長をやった。
その時、最後の定例総会で落とし穴にハマった。
なので、次に理事就任依頼が来たら頑なに断るつもりだったのに、昨年、赤紙(就任依頼)が来た時ココロの奥で「受けるべし」と言う絶対的YES感覚を感じて承諾してしまった。
そしてまさかの初年度からの理事長…。
トラウマを解消する時だと思った。
とりあえず15年前の失敗を徹底的にチェックした。
15年前、若さも手伝ってワタシは独善的に管理組合を運営した事が落とし穴に落ちた要因であると理解した。
正義感は高揚感はあったが偏狭で排他的だ。
その反省から、今回は独自意見は持ちながらも合議制を重視して理事会を運営した。
“引く”事を意識した。
ワタシがやっている「自分力」的な発言はもちろんしない(現実は意識から創造される、とか云々)。
「自分力」は知識ではない。言葉でもない。在り方なのだと一年間の堅気の理事長職を通して深く理解した。
最初の失敗から15年…、自分の在り方をコントロール出来るくらい成長した事を実感した。
たとえ肯定的であっても、感情にとらわれているうちは自分の中心からズレていて視野が狭くなる。
HOTであり、同時にCOOLであること。
充実感は感情ではなく、感覚だ。
福の神と貞子…

HOLGA HL(W)-SN 25mm/f8
縁起が良いんだか悪いんだか…、それはアナタ次第…。
静かに、そして力強く

Carl Zeiss Jena SONNAR(Cx) 135/F4
16日の夜もデモに参加してみた。
16日のデモは「決戦は金曜日」と言うタグで広く告知されていたためか、冷たい雨にも関わらず、前回参加した時より参加者の数も、お巡りさんの数も数倍に増えていた。
さすがにここまで人が多いとそれなりに物々しい雰囲気になり、ヴォルテージが上がるにつれ殺気立つような空気感が広がってゆく(雨による不快指数の上昇も関係していたと思う)。
前回参加した時の空気感とはちょっと違う。
参加者が増えれば、数の問題だけでなく、質も変化すると言うことだろう。
確かめたい事があった。
これは望むカタチではない、と前に書いた。
何に共鳴出来ないのだろう。
何に共鳴したいのだろう。
相手を罵るようなシュプレヒコールの叫びが気になる(そう叫びたい気持ちはワタシの中にもあるが)。
権力者を悪にして、自分の正義に酔いしれる在り方には共鳴出来ない。
試しにシュプレヒコールで声をあげてみた(前回は声をあげなかった)。
パワーは感じなかった。
雨があがって傘を閉じ、夜空を仰いでみた。
やっぱりハートの辺りがジンジンと躍動している。
ニュートラルな変革のエネルギーを感じる。
これがここにいる理由だ。
一緒に来た仲間達と共有出来ると感じた。
デモの側にいようと、権力(お巡りさん達を含む)の側にいようと否定性を行使しているのならそこに共鳴はできない。
否定性を否定するやり方はワタシが学んだやり方ではない。
アメリカの高校生が銃規制の強化を訴えてデモをしたニュースを見た。
彼らは無言で銃規制強化を訴えたらしい。
このタイミングでこの記事を見たのは偶然ではない。
意思表示のための行動は必要だ、と、デモに2度参加してみて思った。
それは自分に対する宣言だと思う。
でも、流され、怒りにまかせて叫ぶ事が訴えるための有効なやり方だとは思えない。
火に油を注ぐが如く、否定性を強化することになる。
多分、またいつかデモに参加すると思う。
その時はワタシなりの在り方で静かに、そして力強くそこにいたい。
自分のために。
熱気

スマホにて
3月14日 19:52 首相官邸前
周りの人々も、お巡りさんも皆親切だった(集団としては対立的立場同士だけど)。
望む変革はこういうカタチではないけど、世の中を変えようと言う思いが一致してパワーとなるリアル体験は貴重だ。
変革のエネルギーの中に身を置くのがやっぱり好きだ。
望むカタチでないにしても、ここは変革のエネルギーに満ちていた。
胸の辺りがジンジンした。
ずいぶん前からデモは一度体験してみたかった。
信念のままにワタシは自分のやり方を推進して来たが、ふと“アタマデッカチ”になっていないか?と自問自答することもあった。
でも、このカタチを体験してみて、ハッキリと自分の立ち位置がつかめた。
エネルギー、現実、思考、思い、感情、観念、…もう一度整理し直す。
風向きが変わった

Carl Zeiss Jena TESSAR(Cx) 28/F8
ようやく確定申告を提出し終わった。
いつも年始からこの時期まではココロに枷をはめられているような気分になる。
つまりは面倒臭い&納得出来ないのだが、喜んで税金を納めたくなる世の中ならもっと積極的にやりますよ。
この間、女房が高熱を出したり(インフルエンザではなかった)、マンション管理組合理事長さんの堅気の仕事があったりとエネルギーが分散するような流れもあったけど、一つ一つ丁寧に取り組んで今は晴れて自由の身ヽ(`▽´)/
* * *
風向きが急に変わった。
一週間ぐらい前に「人間性を否定する今の社会システムはもう充分味わったから、そろそろ終わりにしよう」なんて思ったら世の中の動きに加速度がついた。
“2018年は何かある”の第1弾かな。
もちろんこれで一気に望む世界へと移行して行くとは思っていないけど、今ある変動は旧世界の要だったもの(否定性のルール)が衰退し始めた現れに見える。
世間を騒がしている書類改竄などはその末端の動きで、いつもと違うなと思うのは権力側についていたいくつかのメディアが攻撃の矛先を現権力側に向け始めたことだ。
これは表に見えるもののバックボーンの勢力図が変わりつつある事を意味しているように思う。
北朝鮮が米国と首脳会談を行うと言う動きもこの事を示唆している。
残念ながら日本だけが旧勢力に牛耳られたまま世界の動きから著しく取り残されているようだ。
ちなみにこの事は陰謀論でも何でもなく「日米地位協定」の中で公にされている話。
もっとも今回の風向きの変化はこの旧勢力の力が日本でも不安定になってきたゆえと思われる。
自分の反映に例外はない。
この動きもまた自分の内側の変化なのだと確信する。
前述したように自分自身の選択なのだ。
何を見たいのか、の。
なので、本日、相方を誘って国会前に行ってみようと思う(デモをやっている)。
内なる変動のうねりを肌で感じてみたい。
さらに加速が進むかも…。
仲良くなる方法を考えている

Carl Zeiss Vario-Sonnar T*70-210mm/f3.5AEG(YC)
カラスには何故か親しみを感じる。
道で会ったら一応挨拶をしてみる。
時々話しかけてくるようにも感じるのだが、なかなか距離感は縮まらない。
仲良くなる方法はないものだろうか。
* * *
これが本音だろう。
改憲案の中に「緊急事態条項での私権制限」が盛り込まれるそうだ(by 朝日新聞)。
簡単に言えば、災害等の緊急事態の際、国民の権利と自由を強制的に制限出来る規定と言うことだ。
これに緊急時における政府の権限集中、選挙の中止、などを加えるといわゆる独裁国家となる。
緊急時の認定は政府がする。
“国難”と言えば済むのだから簡単なものだ。
メディアがグルなら、事実であるかどうかも関係ない。
ワタシの人権も、自由も、命も、アナタの人権も、自由も、命も、ウソつきでデタラメしかないあのニタニタ笑う人達の手に握られる。
一番懸念していたことがとうとう出てきた。
腹を据えて取り組む時が来た。
クライマックスへ

Carl Zeiss Jena TESSAR(Cx) 28/F8
世の中の動向を色んな角度から見て思うのだが、「いよいよ世界がほころび始めているのではないか…?」。
自分の周りにある調和と世の中に見る分断のギャップに今まで戸惑っていたけど、その比率が逆転し始めたように見える今日この頃。
たくさんの小さなメッセージを注意深く眺めてみれば、多くの人々が目覚め始めているかに見える。
そのキッカケは皮肉な事に、今の世の政治と経済の幼稚なデタラメぶりに絶望しているところから始まっている。
そのデタラメぶりはもはや人間の退化にさえ見えるほどだ。
進化か、退化か。
道は別れている。
今どっちを向いている?
どっちのレールに乗っている?
どの選択も自由。
その責任は自分。
人間性を否定する今の社会システムはもう充分味わったから、そろそろ終わりにしよう。
終わりにするためにちゃんと見よう。
目をそらしてはいけない。
手の内にないものを手放すことは出来ない。
終わりにするためにちゃんと絶望しよう。
ごまかしてはいけない。
分断のエッセンスを理解する事こそここを出てゆく道だから。
自分の意識の成長の過程を思い出した。
大きな前進の前には必ず大きな絶望があった。
絶望の中に入り、そして灰の中から蘇るように新たな希望を見つけてきた。
パラドックス。
期間限定の否定性を使った意識統合のプロセスだ。
これが唯一の進化の道などと言うつもりはないが、統合のプロセスの理には適っている。
肯定性と否定性の二つの車輪をバランス良く回してクライマックスへ向けて加速中。
オモチャで遊ぶ

HOLGA HL(W)-SN 25mm/f8
どうせ“なんちゃってポラロイド写真”を作るなら…、と思ってHOLGAレンズを買ってみた。
HOLGA Digitalとレンズ単体のどちらにするか迷ったが、これ以上カメラ本体が増える事に抵抗があったのでレンズ単体にした。
プラスチックレンズのチープな写りに期待したのだが、意外にも良く写る…。
α7のイメージセンサーが優秀なのかな?
やっぱりHOLGA Digitalにすべきだったか…などと後悔するのもまた楽し。
* * *
休暇中は基本的に何もしない。
申し訳ないけど、メールや電話も極力対応しない(とは言っても最低限返信はしますよ)。
自分の中心がGoを出さないのなら…
あまり生産性のある事をやってはいけない。
誰かの役に立とうなとど動いてはいけない。
一人で無為に過ごす。
そしてバランスとタイミングを信じる。
休むときに休まないと、結局動くときに動けないのだ。
優しさ・新しい世界へ

zeiss Vario-Sonnar T* 24-70/F1.8-2.8
休暇

Carl Zeiss Jena TESSAR(Cx) 28/F8
2月の後半から何となく忙しくなって、特に先週から名古屋出張、東京ワーク(この日は近頃では珍しいくらい強烈だった)、その後マンション関連の堅気の業務(柄にもなくマンション管理組合の理事長さんなどやっている)などでさすがにへばった。
昨日でようやく諸々一段落し、今日から休暇。
自己探求のまとまった時間が取れるのはありがたい。
* * *
ワークショップに来てくれる人達もこの数ヶ月で大いに前進しているように感じる。
長年基礎を作ってきたがゆえに今の時期大いに前進出来るのだと解釈する。
次のステージってとこかな。
ただちょっとココロに引っかかるところもある。
それについてずっと考えていて腑に落ちたのは…、問題に対する自己洞察のプロセスで自分の殻に入り過ぎてしまって落ち込み、停滞する傾向があるという事だ。
自分しか見えていないと、取り組んでいるものの全体像がつかめないように思う。
自分の過去の成長過程を振り返ると、自己洞察と世の中の流れは常にリンクしていて、世界で起きる出来事は必ずその時々の自分のテーマとリンクしているから、世の中の動向と照らし合わせた自己洞察は視野が広がり、テーマに対する理解が深まる。
逆に世の中の動向と自己洞察を分断してしまうと自分の立ち位置がつかみにくく、迷走し、テーマに対する解釈も偏狭で曖昧になってしまうようだ。
世の中の動向も自身の投影だからね。
これを切り離してしまっては意識統合も片手落ち。
複雑で、デタラメで、ウソで固められた気持ちが暗くなるような昨今の世相だけど、それゆえ洞察を深め、前進するヒントがたくさん散らばってもいる。
真剣

KMZ Jupiter-9 85/F2.0
最近は“なんちゃってポラロイド写真”ばかりで手抜き気味に見えるが、これはこれで実は色々と試行錯誤している。
* * *
「The Old Girls BAND」のメンバーの最近の変化が興味深い。
音楽なんてやったことなかったオバさん達(失礼)がバンド演奏しているワケだが、出来ない自分に否定的な気持ちを感じながらも、だんだんと新たな自分を発見し、全体の中での自分のポジションを見つけてゆく。
数日前に話した時も、自分に対する肯定感が以前よりずっと強く確かなものになっていて、何だかとっても楽しそうだ。
バンドにそんな効果があったのかなぁ…。
そしたらこんな記述を見つけた…
「エネルギーを他人と調和させたり、融合させるのはポジティブで統合的なプロセスです」
「それはネガティブな在り方を選択するどんな存在の能力を遥かに超えています」 by Bashar
そうだよな〜。
ただバンドをやるだけではこんな肯定感を感じないだろうけど(と言うか昔やっていた時は感じなかった)、意識を持ってバンドをやるって、エネルギーを他人と調和させたり融合させたりする事そのものだよなぁ。
皆、出来ないなりにも、それぞれがそれぞれのパートを一つの楽曲を完成させようと真剣にやってる姿は統合のプロセスだと感じる。
真剣だけど笑いも絶えないし、満足感を感じている。
自分の問題に対する取り組みにも何となく余裕が出てきたように見えるし。
ちなみに写真の人は本気でベーシストになる事を考え始めているようで、これはホントにビックリな変化だ。
リハーサル風景(その3)

KMZ Jupiter-9 85/F2.0
Emmylou Harrisのように。
急に伸びてきて対応できなかった…

Carl Zeiss Jena TESSAR(Cx) 28/F8
前夜祭

Carl Zeiss Jena TESSAR(Cx) 28/F8
この日、梅の開花率はたったの6%でした。
リハーサル風景(その2)

Carl Zeiss Planar T*50mm/f1.4MMJ(YC)
春のツアーが中止になっても(※注・元々そんな予定はない)、一人黙々とリハに余念のない相方であった。
── 写真はポラロイド写真ソフトを使用。
でも、何か邪道のような気もする。
リハーサル風景(その1)

OLYMPUS ZUIKO FISHEYE 16/F3.5(相方所有)
リハーサル中、あまりのハイテンションから、メンバー約1名、加齢による持病悪化のため、やむなく春のツアーを中止いたします(※注・元々予定などありません)。
関係者各位にはご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解のほどをよろしくお願い申し上げます。
なお、チケットの払い戻しはお近くのプレイガイドまでお問い合わせ下さい(※注・クドいようですが、元々ツアーの予定などありません)。